【子育て】母の知らない娘の顔。もしかして、それって二重人格!?

ピヨ(娘)のコト

なぜか母を溺愛する高校生のピヨと、シングルマザー会社員のことこと子。ピヨが毎朝、顔のテカリ抑えとサラサラのヘアセットに余念がなく、1時間近く洗面所を占領するので、近頃自分の顔をしっかり見てないことにはたと気づく。まぁ、見たら余計にため息つくか(笑)

今日は、グングン成長する娘を見ながら、最近よく思うことをお話しします。

母の知らない娘の顔

大好きで毎週欠かさず見ていたドラマ、2012年放送のフジテレビ系「ゴーイングマイホーム」で、阿部寛さん演じる頼りない父が、小学生の娘に言われた言葉「パパも知らない私だっているのよ。」みたいなセリフがとってもいいと思いました。

例えば祖父母と暮らさない核家族でも、保育園に入る頃から、自分の家族と離れ「他人」と過ごす時間ができると、そりゃ当たり前に親から見えないその子が存在するわけです。
つまり、ピヨは私にとっては娘。でも違う誰かにとっては、また違う存在なんですよね。親の見えるところから飛び出して、世界を広げていく。(とても胸がキュンとします)

なので、親が子どものコトを全部知っているような態度は取らないでおこう。そう思っています。(口喧嘩になると言っちゃってますけどね~w)

本当の自分

そういえば、人生の道に迷った人が「自分探しに行ってきます。」とさすらう時代がありました。その時は、あぁそうだよな、迷っちゃうよな誰でも。と共感してちょっとカッコいいと思ったほどでした。

でも、本当の自分ってなんでしょうか。

どこかに旅立って環境を変えると何かが見えてくるのかもしれないけど、本当の自分は探して見つかるものではないと私は気づいてしまいました。(あくまでも個人の見解です。)

優しい自分も、楽しい自分も、泣きべそな自分も、嫌な自分も、みーんな自分なんですよね。
それをぜーんぶ肯定して、さて、どの自分で居たいか決めなくちゃ。人生に迷ったらきっと必要なのは、こんな心の作業なんだと思います。

相手によって自分ができる

これも深い話なのですが、誰とでも全く同じように接することができるのは、AIだけなんじゃないかなって思います。

人は、相手によって変わる。(変えることができる)

自分の生活を思い返してみても、本当にその通りだと思います。優しい人と話すと優しくなって、いつもイライラしてる人と話すと自分までいらいらしちゃう。人は一人では生きていけないので、毎日誰かの手を借りて支えてもらって暮らしていますよね。

人生は誰と出会うか、誰と生きるかで決まる。

大人になって身に染みてそれがよく分かるので、ピヨが巣立つとき、「嫌な人からは逃げて、優しい人と過ごすようにしてね。社会で生きていくのは大変だけど、きっと自分が楽しめれば、楽しいことがやってくるよ。」と餞の言葉を添えようと決めている母なのです。

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