【シンママ日記】笑って泣ける、ことこと子とピヨの物語の、はじまりはじまり。

ことこと子(私)のコト

はじめまして!シングルマザーになって9年目 の40歳会社員「ことこと子」と申します。

母が大好きすぎて、ちょっぴり愛が重い高校1年のJK「ピヨ」との2人暮らしを、ここに書き留めておこうと、今日から『デレ、ときどきツン子』という名のブログを始めます。

ひとり親でも、親の援助がなくても、なんの取り柄がなくたって、どーにかこーにかがむしゃらに生きてこられた人生が、誰かの役にたったり、クスッと笑ってもらえたら幸いです。

いまを生きる

誰だって、振り返りたくない過去がありますよね。私にも山ほどあります。あの頃は自分のことしか見えてなかくて、まったく冷静に考える余裕がなかったのが恥ずかしい。

若気の至りって言ってしまえばそれまでだけど、20歳そこそこで結婚して、のう天気に暮らして、それが永遠に続くと思ってたのが今思うとすごいとしか言いようがない。(その自信どこから来たんだかw)

結婚10年目、ピヨ6歳の冬。
母と娘の2人暮らしが始まりました。

「ママだって、結婚して幸せな家庭を築くはずだったのよ。」

なんて、幼かったピヨに言ってしまったくらい、いつ出口が見えるか分からないような暗いトンネルを彷徨う時期もありました。

でもこれが不思議なことに、ピヨが大きくなるにつれ、自分もだんだんと親へと成長し、人並みに笑って暮らして子育てできてるから、人生捨てたもんじゃない。(笑)

ようやくここ数年、「今を生きてる!」と胸張って言えるようになったのです。

二の舞にはさせない

実は私、ことこと子も母子家庭で育ちました。親がそうだと子もそうだ。みたいなくくりにされると嫌なのだけど、私の姉はちゃんと幸せな家庭を築いて生きているから、たまたまなんだと思いたい。

我が母は、料理があまり得意でなく、我が強いヘビースモーカーのパチンコ好き。一言でいうとそんな女性でした。(今は年老いて少し丸くはなったのですが。)

私の場合は、ピヨの場合よりもう少し後の、小4(10歳)の夏に両親が離婚。内気な性格で、おまけに食が細く「ガリ子」と密かに呼ばれていたほどのちょっと暗い女の子。今でいう陰キャでした。

「父さんと母さん、どっちと暮らしたい?」

離婚あるあるの話し合いの場があったのだけど、結局女の子だから母親がよいだろうってな訳で、姉と一緒に母に引き取られたのでした。(本当は父親の方が好きだったけど)

それでも、中学の頃までは割と母の事が好きで、なんでも話せた気がするのに、高校に上がる事にはとても鬱陶しい存在に。
友達の親、バイト先で出会う周りの大人と比べると、自分の親がなんだか情けなくて、あっという間に嫌いになったなぁ。そのシコリがずっと心の底に住んでいて、今でもどこかぎこちない親子関係のままなのです。

手作りあったかご飯

そんな子供時代があったからか、自分と母親とのシコリがあるからなのか、シングルマザーになったとき心に誓ったことがありました。

ちゃんとあったかいご飯を作ろう。
ご飯さえちゃんと作ればきっと心は離れない。

なんか分からないけど、「母の温もり=手作りの温かい食卓」という底知れぬ自信が湧いてきて、これなら私にもできる!と信じて、自分自身にこれを誓ったのでした。

若い時は料理が得意ではなかったけれど、慣れもあってか、はたまた食いしん坊が目覚めたのか、次第に運良く料理好きになり、今日までピヨの胃袋を掴んでまいりました(笑)

ペンネームの「ことこと子」の由来は、お鍋のなかで食材がコトコト煮込まれている様子が無性に好きだから。これからも美味しくて可笑しいピヨとの毎日と、いつか巣立つその後の人生を楽しみに、自由きままに書き留めていきますので、どうぞ宜しくお願いします。

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